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正月の街を歩く 

正月の街はとても静かで清々しい。
妻の実家近くのふだん騒がしい工業地区も、正月はゴーストタウン化。
そこを我が物顔で歩くのがとても気持ちいい。

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動くもののない、音もない、絵のような眼前の風景。
早朝の風が頬を刺すように冷たい。

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人の気配もまったくない。

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車も一台も通らない。
道の真ん中でカメラを構えてもぜんぜん平気。

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道ばたのダストボックスに怖い絵。
このキャラなんやろ。

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激安の自販機。
30円とかマジか。
最安は怖かったので50円の缶コーヒーにチャレンジ。
ふつうに賞味期限内のあったかいのが買えました。

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モダンな感覚で切り取った1枚。(誰も言ってくれないので自分で言う)
石元泰博にも似た透徹した眼差しだ。(自分で言う)

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そして大好きなガスタンク。
昇降階段が最高。
もう少し寄った写真を見てみよう。
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いいでしょう、いいんですよ。
いつかあそこを昇降してみたいなぁ。

誰にも会わない、街あるき。
最高でした。


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キログラムの定義が変わると知って考えたこと 

質量の単位「キログラム」の定義が変更されるとニュースで知った。

おっ?
日々体重計の数字を気にする婦女子や、肉屋のご主人にとって大ニュース!
てなことではないらしい。
変わると言っても基準が人工物から物理定数にとってかわるだけで、
もし差があるとしても1kgあたり“指紋1つ分(なんだそれ)”あるかないかというぐらいの誤差だとか。
はっきり言って日々の生活で微塵も気にならないレベルだ。
私たちにはまったく関係のない次元のニュースだった。残念。

では、まったく関係ないから興味もないのかというと、そうでもない。
むしろ興味津々だ。
これもつい最近のニュースで、NASAが探査機を火星に着陸成功させたというトピックがあったけど、そんな遠い惑星での出来事と比べれば、まだ身近に感じるというもの。

人類史を振り返ってみれば、計量するということは昔から大きな懸念事項のひとつだった。
たとえば秦の始皇帝が中国統一に際し特に重要視したことは、貨幣・文字に並び度量衡だったと言われているし、古代エジプトにおいては、死者が天国に行けるかどうかは秤で決められると考えられていた。
日本で言えば、お米を量るマスを庄屋に誤魔化された百姓さんが、かわいい我が娘を身売りに出してしまうなんてこともあったみたい(時代劇で見た話だけど)。そんな昔の不正行為を思うと胸が詰まるし、現代を生きる私たちにしてみたって計量の悩みはけして他人事ではない。ガソリンスタンドの請求額にびっくりしちゃって、給油メーターについつい疑惑の目を向けてしまったりする……そんなナイーヴな心を持ったご同輩も少なくないのではあるまいか。
これ以上こまごまと例を出さなくても、私たち小市民からしてみれば公明正大な計量がどれだけ大事なことか、賢明な読者の方々には自明のことだろう。
だから重さの定義がさらに厳密に、だれにも開かれた形で定義し直されることは、日常生活レベルで実感できるかどうかにかかわりなく、人類にとって大いに寿ぐべきニュースなのである。

とはいえ、やっぱりさみしい気持ちもある。
新しい基準は『プランク定数』という物理定数なんだけど、
これまでは、世界に1つしかない分銅が基準だった。
それは耐食性にすぐれた白金イリジウム合金でつくられ、パリにある国際度量衡局で、二重真空容器の中に入れられ厳重に保管されていた。
……なんだか、かっこいい。
『国際度量衡局』
『二重真空容器』
『白金イリジウム合金の分銅』
単語1つ1つ読むだけで、わーっとイメージが広がるっていうか。
そのうち大怪盗が盗み出しそうな気配がプンプンする。
『今夜、世界に1つしかない白金イリジウム合金の分銅をいただきに参上! ルパン』
『わっはっは、国際度量衡局周辺の警備は万全ですよ』
『ナニっ! 二重真空容器の中から分銅が消えただとォ!?』

これが物理定数だと、なかなかそうはいかない。
「くそぉ、一足遅かったか! ルパンめ、まんまと盗みおって」
「いえ、刑事さん。あの方はなんにもとらなかったわ」
「いや、あいつはとんでもないものを盗んでいきました」
「……」
「プランク定数です」
〈完〉

たとえ懐古厨とディスられても、国際度量衡局の方々には、白金イリジウム合金の分銅をずっと未来まで保管しておいてもらいたいと、切に願うばかりだ。


水辺の絵について 

この前、大阪の国立国際美術館にて、
妻とふたりで『プーシキン美術館展』を観てきました。
平日に行ったので会場もすいていて、ゆっくり鑑賞できた。

セザンヌやコローはもちろん素敵だったけど、
私が心ひかれたのは、やっぱりというか、
いつも決まってそうなんですけど、
いくつかの“水辺の絵”でした。

たとえば、アルベール・マルケ『パリのサン=ミシェル橋』。
セーヌ川を行く船や、水面に写り込んだ橋梁の影。
行ったことのない風景だけど懐かしさを感じた。

アンドレ・ドランの港の絵も好きだ。
ヨットの帆や海面には下地塗りのままに見える白が衒いなく剥き出しで、
それが私には生々しく照り返す強い日差しを想起させる。

風景画の前に立ち、それにしっかりと見入るとき、
言いようもなく昔の思い出に心奪われる瞬間がある。
私にとっては、それは生まれ育った海沿いの風景にまつわることが多い。

鼻をつく海棲生物の死臭やドブ川の異臭。
護岸のコンクリートのざらりとした質感。
目を刺す水面の反射光。
ちゃぷちゃぷといやらしい音を立てる防波堤。

そんな記憶の断片が絵の前で一斉に吹きだしてくる。
それらがどんどん暴れはじめて、
絵に集中しようとしても、そうさせてくれない。
たまったものではない。不快ですらある。
だけどその絵から目がはなせないままの自分がいる。
そんなことがよくあります。

私が水辺の絵に見入るとき、
その絵を観ているというよりも、むしろ、
湧いて出てきてしまう過去の刺激を見さされている……
そう言ってしまったほうが、しっくりきます。

それでもやっぱり、私は水辺の絵が好きです。
いや、もしかしたら「だから」好きなのかもしれません。


好きのきわどいところ 

あなたもありませんか?
「あれいいよね」「うん、いいよねー」
「やーんこれかわいいー」「ほんとだー」
そんな会話では決して顔を出さない、自分本位の美意識。
これは他人にはわかってもらえないかもしれないなー、でも好きなんだよなー。
そんな感覚、感性。
私はそれを『好きのきわどいところ』と呼びます。

え?
私の『好きのきわどいところ』を知りたい?
いいでしょう。今回特別に開陳いたしましょう。
もし共感できる方がいらっしゃったら、ぜひコメントなり拍手をお願いします。
ではどうぞ。

『好きのきわどいところ』その1
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『田んぼや畑の中が規則的に並んでいるさま』
意図はしてなくても、農家の営みはその内に芸術家的側面を有すると思います。
特に好きなのはゆらぎのある規則正しさ。神々しさすら感じます。


『好きのきわどいところ』その2
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『セイタカアワダチソウ』
群生している様子がとても好きです。群生ってすごくいいですよね。
彼らの持つアレロパシーという性質には人間の営みにも通じる傲慢さを感じる。そこがいい。
でも実は自分、セイタカアワダチソウの花粉症の疑いあり。


『好きのきわどいところ』その3
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『平岡農園の昔のポスター』
上に伸びた少年の右手がつかんでいるのは、蜜柑に見立てた太陽だ!!
と勝手に思い込んでるぐらいこのデザインに心酔しています。


『好きのきわどいところ』その4
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『段差の石垣』
石積みはいいものです。それを積んだ人の労苦を思うと胸がつまります。
さらに美意識をも感じる石垣なんかに出会った日にはもう……!
ちなみに写真は沼島の厳島神社です。斜めに組まれた片岩の石垣がたまらん。


『好きのきわどいところ』その5
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『アート的廃棄物』
道端にある謎の廃棄物の中には、アート的な異彩を放つものがあります。
これは船が陸にあがってて、なおかつ中に水がたまってて……何から何まで逆やん!みたいな。
赤瀬川原平の『宇宙の缶詰』的倒錯です。


『好きのきわどいところ』その6
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『オリブ油のパッケージ』
このパッケージデザイン好きなんですよ。とてもキュート。
オリーブ油を精製した『オリブ油』は、オリーブ油独特の匂いがあんまりしないってこと以外にこれといったメリットがないにもかかわらず、普通のオリーブ油と比べてずいぶん高価。
実はこの箱にこそ、価値があるんですよ。私はそう考えます。


『好きのきわどいところ』その7
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『一昔前の看板』
近頃の看板はなんだか似たような感じのものが多い。そう思いませんか? パソコンでデザインするから? それとも時代性ってやつかな? 今のデザインもそれはそれで何十年後かに懐かしく再評価されることもあるのかもしれないけど……。
昔の看板には、今の看板にはない味わいがあって好きです。


『好きのきわどいところ』その8
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『朽ちたテトラポット』
不思議だと思いませんか。
全国に無数にあるテトラポット、その材料はどこから運ばれて来るのでしょうか。
私は、きっと近場で調達するのだろうと推察します。
その考えが正しいとすると、どれも同じように見えるテトラポットにも彼らの地域性や個性があるに違いありません。
特に、昔に作られたものはそれが顕著です。私はそれをもっと知りたい。


どうでしたか。
みなさんもぜひ『好きのきわどいところ』攻めてみてください。




アイが止まらない 

♪ Just こころごと とまらないもう
 あなたに ドラマ始まっている
 JIN JIN JIN 感じ〜て〜る〜 ♪

いきなりWinkの「愛が止まらない」で始まりましたが、今回の話題は80年代アイドルソングの話ではありません。
私の老眼のことであります。

老眼を英語では、・old sight / ・aged eyes / ・Presbyopia というそうです。
(エイジド)アイ(ズ)が止まらない……
ちかごろ老眼が止まりません。

特にここ1年ほどで、かなり進行しました。
老眼鏡なしでは、ふだんの生活もままなりません。
たとえば外出先で案内印刷物を手にとったとき。
あるいはコンビニで商品の品質表示を見ようとしたとき。
わざわざカバンの中から眼鏡を取り出すのも億劫に思い、読むことを諦めてしまうこともしょっちゅうです。
この前は打ち合わせに老眼鏡を忘れてしまい難儀しました。

手元のピントが合わないことがこんなに不便だったとは!
自分が体験するまで、まったく想像もできませんでした。

ここで、老眼あるある、いってみましょー。
『鏡にうつる自分の顔がわりと若く見えてしまう』
 こまかいシワとかシミが見えないからね。
『読み間違えた自分にウケる』
 ☓「大腸」→ ◯「太陽」
 ☓「ひまん」→ ◯「てほん」
 ☓「安達祐実」→ ◯「安全確実」
『箸でつまんだ食材にピントが合わないから食事の満足感がうすい』
 これが地味につらいんですマジで。

これまでノーメガネライフだった私。
目はとてもいいほうだったんです。
だから眼鏡に慣れなくて、いろいろ面倒くさい。
ノーメガネライフがノーメガネノーライフに。
でも、きっともう元の視力に戻ることはないんでしょう。
かなしいけど、それが老眼なのよね……。

こうなれば、せっかくだから老眼鏡に凝ってみるか。
メガネケースをお気に入りのものにしたりなんかして。
仕方ないので、これからの老眼ライフを少しでも充実させる方向で考えてみようと思います。